百年しばた One Shibata 新発田を一つに
2013年7月15日に新発田駅前開発が後戻りできはいほど進んでいることを知りました。
これほど大きな箱物が建とうとしているのに何も知らなかったのです。
自分が無関心であったことに反省して「百年しばたを始める決意をしました。
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2015年夏、地域を回り、元気な企業を探す
飛び込みをはじめました。

子どもたちの帰ってこれる「ここ」は見つかるだろうか?

『新 百年しばた宣言』 ブログも御覧ください

「百年しばた」では400を越える企業、商店、農家の皆さんと話をしてきました。
将来への不安と、今の生活のために懸命に生きています。

今回の図書館の新設(=マンションの建設)も、市役所の移転も100億円以上の補助金と経費がかかります。
市役所は当初の57億円から13億円上昇し、総額約70億円となります。それで住むとは思えません。その金は、建築会社を経由して新発田の会社に流れていきます。(建設後の維持費、取り壊し経費を含めたら200億や300億平気でかかるでしょう。)
市内の雇用を確保するためには必要なことです。
しかしその金は借金であることを忘れてはなりません。維持費は多くなり、市民を圧迫します。

この政策で「子どもたちは帰ってこれる」でしょうか?
一時的な補助金を受け取ることはいいことです。
しかし、それは、『子どもたちが帰ってこれる「しばた」』を作るために使われるべきです。

子どもたちは帰ってこれなく、老人ばかりの町に大きな老人ホームが建っていきます。
そんな未来はまっぴらです。この地で生まれて、共に育った子どもたちと老後を過ごしたいのです。

「しばた」は単に住民票の登録されている住民のものではありません。
「しばた」で生まれ、帰ってこれない子ども、親戚、兄弟が多くいます。
そういう人たちの大事な故郷でもあるのです。

生まれた土地で、家族や先祖と暮らしたいというのは当たり前の願いです。

そんな願いを実現しないような政治は間違えています。地域は「ゆるやかな死」に向かっています。
そうではない道がある事を信じて、「百年しばた」のまだ見ぬ仲間を信じて「しばた」をまわります。

人口減少の原因は住みにくいからではない。 駅前にマンションを作っても人口は増えない。建築会社が儲かるだけだ。->もっと詳しく

新発田の人口は10万人を切っています。なぜ人口は減っていくのでしょうか。

その原因ははっきりしています。東京や新発田以外の地域の大学に行った子どもたちが地元に仕事が無いから帰ってこれないのです。
親たちは死んで、子どもは帰ってこない。農地の大規模化は離農を促し、単なる労働力となった農民はノマドとなって働きに出る。


新発田市は「住みやすさ日本一」の町を目指しているそうですが、住みやすければ人口は増えるでしょうか?決してそんなことはありません。
子どもたちが、帰ってこれないから人口は減っていくのです。

老人となった親たちは「仕方がない」と言います。


子どもたちが仕事を探しても、この土地に仕事がなければ人口は減っていきます。
補助金で、図書館を作っても、大金をかけて使いにくい市役所を作っても市民の選択なのだから、何も文句は言えません。
内需型の起業や商店は市からおこぼれを貰いたいから反対することは出来ません。 それはしょうがないことです。

とある大企業の社長と会うことになったのですが、僕の活動を知ってその人は「市長に嫌われるとおこぼれがもらえないから会えない」と断ってきました。 社員を守らなければならないのですから責めるわけには行きません
ある印刷会社に「百年しばた」のパンフレットの印刷見積もりを頼んだら「新発田の仕事をしているから出来ません」と断られました。
市民を萎縮させ、行政に批判的なことは誰も言えません。

市政に反対しない住民の責任だとは一概に責める事は出来ません。

地元に本社の有る元気な企業がなければ人口は減っていきます。

『補助金に頼り、今の金を受け取ること』それは高度経済成長時代に作られたビジネスモデルです。
麻薬のように地方を疲弊させていきます。
地元の雇用先は市の臨時職員(最近は業務委託先)や建築会社の下請けしかありません。多くの企業は新発田市からの発注で食っています。



補助金をばらまく行政が悪いわけではありません。
次の選挙ばかり考えて、建築会社の儲けを優先する。市民の望み(子どもと老後を暮らしたい)を考えない政策が悪いのです。



そんな環境では起業家は生まれてきません。

私は、30年後、子どもたちと一緒に暮らしたいと言う夢を持っています。
この土地を離れて遠く暮らしている親戚や兄弟と一緒に暮らしたいと言う夢を持っています。

20代に大学を出て社会人になる時に時に父は言いました。
「新発田には仕事が無いから東京で仕事を探せ」と、それが当たり前の様に僕に言いました。
とても悲しいことだと今はわかります。
毎日働いて、仕送りして、苦労して大学出させて、自分たちは寂しく老後をすごすのです。自分がその歳になって分かります。涙が出ます。
老後、一人で暮らせなくなったりしたら、都会の子供の家の片隅に呼び寄せられて、故郷を捨てるお年寄りも多くいます。 私の両親の友達も多く都会に旅立ちました。 東京の幻想は既に終わっています。


僕は、子どもたちに「お前が学んだことを教えておくれ、愛するしばたに皆が帰ってこれるように使おう、共に生きよう。」と言いたいのです。
資格をとる為に、公務員試験を受けるために学校にいくのではなく、生まれ故郷を豊かにするために学びに行くのだと信じたい。

新発田市も成長戦略を行っていますが、全く効果がありません

地元に本社のある企業は社員を家族のように想いともに生きることを目指します。

本社が遠くにある企業は平気で生産調整のために閉鎖します。支店も人口が減りその地域での売上が見込めなくなったら閉鎖します。
だから、本社が地元の企業が必要です。
無論、農家や地元資本のスーパーや商店も大事な企業なのです。

行政も、「にぎわい創出のための事業=商店街の活性化」、「成長戦略」を行っています。
市役所の移転も駅前の「建築会社のマンション付き図書館」もにぎわい創出のためなのです。

「チャレンジオフィス」と呼ばれる事業では、起業を目指す人にオフィスを提供しています。
そこに入っていた起業家と一緒にホームページの見積もりを行ったことがあります。
発注元は、仕事の説明をして、単価6000円でやるように言ってきました。
2万円はお客さんから取れる仕事でした。結局は起業家を安く使うことしか考えていないのです。
共にこの地で生きていくために力を合わせて行こうという気持ちになっていなければダメなのです。
彼は、起業を諦めて、新潟の企業で働いています。

「チャレンジショップ」というお店を駅前と中心部に作って、地元大学に運用を任せています。
そのお店で必死に働いている起業家がいます。とても頑張っています。
しかし、売上で給料が出ているとは到底思えません。
結局は補助金を運用元に渡して、赤字を補填していると思います。
そんな政策は起業家を育てません。ただ、運用元に金を渡しているだけです。

「写真の町新発田」と言うキャンペーンが定期的に開催されます。
地元商店街をサポートする事が目的です。
地元商店街に1000円で昔の写真をパネルに伸ばして、店の前においてもらいます。

新発田市のイメージ作り(CI)のつもりなのだろうけど、店の人にこれで売上は伸びるのかと聞けば、皆笑って「そんなわけがない」と言います。
その業務は市内の「文化人」の写真館に委託されます。

その「文化人」は、市役所を移転させる問題で、今後新発田は発展して公共交通機関が充実するから新発田の中心街に7階建ての展望台付きの市役所はいいものだと説明しています。
地下鉄が走るのかねえとその説明を聞いた人は呆れ顔です。新発田から金もらっているといいことばっかしか言えなくなるんだねえ。
新発田の温泉街(月岡温泉)にとても立派な足湯の施設があります。
合併して、行政が作ったのでしょう。地元の旅館の人の話を聞いても、常識的に考えても、リピーターを増やす事にはなっていません。
その証拠に、月岡温泉では旅館の倒産が相次ぎ、立派な建物が空き家になっています。

補助金を使って農業の大規模化を進めています。
市場競争力の有る農作物を作るという名目です。
中小の農家は土地を手放して、単なる労働力となっていきます。

市場の価格競争の圧力によって、長野のレタス栽培のように、新発田で働く農業従事者は海外からの出稼ぎ労働者ばかりになります。
子どもたちは農業を継ぐことが出来ないままに大都市での労働力となって行くほかないのです。

先祖から受け継いだ農業を捨ててしまったら、「しばた」から子どもたちは離れていく他ないのです。

日本のコメの生産原価は200円です。海外の米生産原価は50円です。いくら頑張っても、勝てるわけがありません。
土地を手放させて、農業を潰すのが今の日本の農業政策(新自由主義=グローバリズム)の目的です。

私達市民が、値段が高くても共にこの地で生きる決心を持った農家と、商店と、 共に生きる決意をしなければこの街はゴーストタウンになります。
共に生きる決心をした市民が寄り添って生きること。
これこそが「地産地消」なのです。地元のもの食べるからではありません。


そういう未来を選べなかったら、人口は減り、原発のゴミの最終処分施設を誘致するほかなくなるのです。

今、アマゾンは宅配で生鮮食品をデリバリするシステムを開発しています(amazon fresh)と言うサービスの実験をシアトルで行っています)。 やがて、大手スーパーもコンビニも価格圧力の厳しい市場で負けてしまうのです。
グローバル化の中では勝者は1社なのです。CGCグループ(日本最大の共同仕入れ企業)の出先でしかない大手スーパー(原信、ウオロク)も、多くのコンビニも世界規模の宅配システムの前では敗れ去ります。

市民はただ労働力としてグローバル企業に雇われ、喜びを見出すこと無く賃金のために働きます。

老人はネットなどで買い物はできないという「先の見えない輩」もいますが、もっと未来を彼らは見ているのです。
ネットが当たり前の人々がどこの誰が作ったかもわからないものを食べる。 (無論トレーサビリティは完璧でしょう。しかし、そういった農作物は 自分たちが食べているものを共有すると言う意味の地産地消からは遠くはなれたものです。) そんな未来は選びたくありません。

では、どんな政策が私達には必要なのでしょうか?

少しだけ私の経験をどうぞ....
僕は、30代に地元に帰り、雇ってくれる企業を探しました。
結局安定を考えて父親が50年務めた鉄鋼所に入りました。
しかしながら親会社は生産調整のためにその会社を潰しました。
15年前のことです。
労働組合の委員長をしていた僕を雇うような会社はなく途方に暮れて地元の「平野屋(父の実家で市内にあります)」と言う商店の片隅に事務所を構えました。
東京時代の友人の会社から仕事をもらい、その後大宮の会社のサーバーの仕事をして6-7年暮らしました。
社員も雇えました。


しかし、その仕事も切られ、社員も解雇して途方に暮れ、毎日ハローワークに行って職を探しました。

そんな時に新発田での国体(ゴルフ競技)の集計の仕事を請け負いました。(F-2参照)
その後、そのシステムは5年連続で(日本中の自治体に)採用されています。

その15年間、生きるために、新潟以北の企業(新発田〜村上)130社に飛び込み営業をしました。新潟市内の企業300社に飛び込み営業をしました。
断られ続けながら、企業の皆さんの言葉を聞いて何度も訪問しました。
そして飛び込み営業から1000万円を超える売上を得ました。

2011年から新潟でNICOの支援を受けて朱鷺メッセ11階にオフィスを持ちました。新潟市の支援事業を受けて南口にオフィスを借りました。
ある役人と起業家を集めて、異業種交流の集まりを行おうという打ち合わせをしました。
その席で彼は異業種交流を「自慢こき大会」なんだと説明したのです。
1分1秒もどうやって自分の売上を上げようかと考えている私達の気持ちを役人には、決して分からないのです。
ただ、税金を使って、自分たちが「成長戦略」を行なっているというアリバイを作りたいだけなのです。
役人のアリバイ作りの道具になるのなんてマッピラです。

2013年〜2014年「平野屋コンピューティング」では、地元の困っている企業と一緒になってあるウエブアプリを作っています。
全国困っている企業に使っていただけるものです。
これが上手くいけば「平野屋コンピューティング」は新発田で人を雇える企業になれます。

このプロジェクトを見つけるには5年かかりました。
「しばた」で生きることをあきらめないで、多くの仲間と出会い、話し合って来たことで生まれたのです。

僕は起業家として、しばたで会社を成功させたい。この土地を愛して、一緒に子どもたちと生きていきたい。

大事なことは自分の商品を愛することです。
「百年しばた」で400を超える商店、企業、農家、個人の皆さんの話を聞いてそれが分かりました。
僕自身も、大きく成長できました。



補助金は「あれば助かる」ものですが、麻薬のようなもので決して起業を助けません。
「補助金の為の事業」を立ち上げているソフト業界の知り合いがいます。
1本もソフトが売れなくとも、書類と現物があれば数百万円の補助金が入ってくるのです。

補助金は、売れる売れない、起業できるかどうかは関係ないのです
「平野屋」時代にベーコンを作って売ろうということで補助金を400万円受け取りました。
しかしながらその金額を受け取るために給料を高く設定して「社会保険料と健康保険料」に長く悩まされます。
結局、「平野屋ベーコン」は上手くは行きませんでした。



僕はSONYの創業者の盛田昭夫さんが大好きだ。

自分の生まれた土地を愛して、そこに企業を作ることが平和と豊かさをもたらすことだと信じて、異国で飛び込み営業をして自分の生まれた日本を大きく強くした彼は素晴らしい。

僕は、心が折れそうになた時、彼のことを考える。
お客さんの言葉を聞いて、商品(市場)を作り、お客さんと共に生きていく事を考える。

残念ながら既に日本企業ではなくなっているSONY(国内の生産拠点(不採算部門)のリストラに進んでいる。仕方が無いことだが、労働力の安い海外拠点は後回しになっている。)は好きではない。



お役人さんには言いたい。

何もやってくれるな。


今の政策は補助金目当てで大量の書類作らせて、自分たち(役人)の仕事増やそうとしているだけだ。
もちろん、そうやって自分の子供に仕事を作って「帰ってこさせたい」気持ちはわかる。
けど、30年持たないよ!

市役所の職員にこそ真剣に考えてもらいたい。デトロイトや夕張のようになったら困るのはあなた方でしょう。 これから引退する年寄りのいうこと聞いて、じゃぶじゃぶ補助金を建築会社に注ぎ込んでいたら取り返しがつかないことになる。
とんでもない維持費がかかってくることくらいわからないのでしょうか。


◯自分自身の心を持って、起業して、世界と戦いたい皆さん。
◯会社を守り社員を家族と思い世界と戦っている企業の経営者の皆さん。
◯先祖から守ってきた農業を守る決心をしている農家の皆さん。
◯ポリシーを持ちお客さんと繋がり商品を売っている商店の皆さん。

僕は尊敬する。

(公共企業や、役人、補助金に頼っている建築会社に比べてどれだけ真剣に生きているだろうか?)

共に生きる事を決意して、それぞれの立場から語り合おう。

世界に萎縮しないで、この土地で生きていこう!
あきらめないでこの土地で子どもたちと老後を過ごせる夢を実現しよう!

僕は東京にいた頃、心が折れそうになった時、図書館や古本屋さんで本に囲まれて自分を思い出した。
図書館は、自分が自分でいられるところだと思う。

市民が自分の可能性を信じられない「新発田市」で何のための図書館なんだろうか?
『市役所がばら撒く補助金にたかる事が自分たちの未来だ』としか考えられない市民にどんな立派な図書館があってもしょうがない。

未来が信じられる「しばた」を創ろうじゃありませんか。

そしていつか、みんなで力を合わせて、坪川さんの様に、『未来を信じる市民のための図書館』を寄贈しよう。

子どもたちには未来を信じられる「しばた」を送りたい。

諦めなければきっと出来る。





Hope is a good thing,maybe the best of things,and no good thing ever dies.
『希望』って素晴らしい。たぶん何よりも素晴らしい。決っして失われない。

映画『ショーシャンクの空に』と言う映画。
刑務所に入った主人公は、ネズミの糞だらけの図書館を素晴らしい図書館に変える。
主人公は刑務所で暮らす囚人に希望を与える。


毎日、リストラに怯える社員としての生活。
売上が上がらず会社を維持することに疲れきっている経営者。
後継者がなく、未来が見えない農家。

僕は、何度も転職を繰り返して、起業を繰り返してきた。
今思う、自分が自分として生きていく「希望」を失わないことこそが重要なのだ。結果ではない。


建築会社がマンション建てるためのこんな図書館は市民にどんな『希望』を与えるのだろうか?
次のコンテンツがまもなくアップされます。
お願い:このページを見ても決して新発田市議員の方々へ抗議や応援のメールをしたり電話をかけないでください。業務に差し支えます。